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①大門 西城と東城の中間点にあたる。 |
近木川を渡ってすぐの交差点を左折し200m進んだ所にある交差点(阪和道の高架下を潜る)を右折します。そのまま道なりに約4.3km進んだ所に、左手に根福寺城の説明版があり、案内板右手にコンクリート製の階段があるので、それを利用して登ります。 登城口位置 ページ下部にマップ添付 2020年月日訪城 ③⑬⑭⑮ 縄張り図 掲載書籍 戎光祥出版『図解近畿の城郭Ⅰ』ページ 『図解近畿の城郭Ⅰ』ページ 天文年間末になると和泉の国人を束ねる松浦守は、守護・元常と距離を置きはじめる。天文17年に元常が敵対する三好長慶と結んで袂を分かち、翌・天文18年に守は元常を追放して和泉国の実権を掌握した。 その後、弘治年間までに守は死去し、家督を実父が十河一存とする松浦光が継いだ。弘治3年、光の家督相続に不満を持つ蛇谷城主の松浦虎が根来寺と結び三好長慶・松浦光から離反した。根来寺は和泉国での勢力を拡大し、当城を勢力下とし、名を根福寺城と改められた。本能寺の変後の天正13年、織田信長の後継者となった羽柴秀吉と敵対した根来寺は紀州征伐を招き敗北。根来寺の勢力は大きく減退した。この戦いに関わる史料には根福寺城は登場せず、すでに根福寺城は使命を終えて廃城となっていた可能性が考えられる。
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、 時間、困難さを示します。数値1~5 上記各種データの説明はコチラをクリック→ |
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②井戸曲輪 井戸跡と人頭大の石がある。 |
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③ウマカケバ 東端部は逆L字状の土塁がある。 |
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④西城主郭 関西空港や淡路島が望める。 |
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⑤ハナバタケ 高い切岸下の腰曲輪。 |
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⑥主郭西の腰曲輪 二段の腰曲輪が造成される。 |
⑦畝状空堀群 6条の竪堀で構成される。 |
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⑧畝状空堀の土塁 高さは2mを超える土饅頭。 |
⑨東城の腰曲輪 幾段も連なる。 |
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⑩東城主郭 西城と比べると規模は小さい。 |
⑪東城の鋭い切岸の曲輪 鋭角な切岸である。 |
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根福寺城 登城口位置 |