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 所在地 兵庫県三田市東本庄
 形式  平山城(標高227m・比高40m)
 現状  山林
 築城年代  戦国期
 遺構  曲輪・土塁・堀切・横堀
 主な城主  不明
 見所  横堀
 おすすめ度  ★★
整備された道   途中まで有り
主郭まで   登城口より15分
登城難易度  3
駐車場   なし

森本城遠望 
愛宕山から延びる尾根に築かれる。
 アクセス
三田西ICを降り、三田西インター前交差点を左折し210 m進みます。テクノパーク前(交差点) を左折して2.0 km先の交差点を右折します。160 m先の交差点を右折して県道309号線に入ります。3.1 km先の交差点を右折し三田市立本庄小学校北の道を140 m進みます。
十字路を右折し600 m進み左折します。60mほど先に左の墓地脇を通り山に入る道があります。山道を進むと農業用池に突き当りますが左手の丘陵上に森本城があります。山道が付けられており、途中30mほど進んだ所から左手の丘陵上を目指し直登すると城址のある尾根に到達します。
登城口位置 ページ下部にマップ添付

 訪城記録
森本城は武庫川東岸の愛宕山から延びる尾根先端部(標高227m・比高40m)に築かれています。縄張りは横堀と堀切で囲まれた主郭と、堀切で隔てられた西側に、二の曲輪が位置します。二の曲輪は周囲と背後を土塁で囲み、祠が祀られています。南西部の土塁の端部は祠への参拝道として後世に削られた模様です。二の曲輪北東が主郭になりますが、その間は堀切で遮断されています。主郭までの明確な道が付けられていないことから、当時は木橋によって往来していたものと推察されます。主郭は東西に長い長方形の曲輪で北東部に土壇があり櫓台として使用されていた可能性があります。主郭の背後、愛宕山方面の尾根と斜面は堀切と竪堀で遮断されており、堀切の堀底は南側にある横堀へと繋がっています。
横堀の南側には東西に帯曲輪が造成されていますので、横堀内を塹壕として使用していた可能性も考えられます。
2020年12月27日訪城

縄張り図 掲載書籍 
三田市『三田市史 第3巻 古代・中世資料』594~596ページ


 歴史と考察
森本城に関する史料および伝承はない。
駐屯地として削平される区域は主郭とニの曲輪の2つで、縄張りは堀切・横堀・竪堀等で主郭を厳重にを守り、比高の低さを防御パーツでカバーする意思が見える。削平地に対して防御パーツの量が、やや過剰とも思える縄張は三田地域の在地系城郭には見られない傾向である。
当城の北西に国人・森鼻氏の本庄丸山城がある。
森鼻氏は有馬郡・赤松氏の被官であったと推察され、永禄13年まで活動していたことが史料より確認できる。『播磨清水寺文書』
天正年間、主家である有馬分郡守護・赤松氏は荒木村重によって滅ぼされたと伝えられる。『寛永諸系図伝』
赤松氏の被官・森鼻氏も赤松氏と行動を共にしたと考えれば、本庄丸山城が荒木村重の軍によって攻められた可能性もあろう。その際に荒木方の付城として構築されたのが森本城であったのではないだろうか。

おすすめ度はが多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します
数値1~5
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上記 データの 説明      


二の曲輪 
祠は朽ちようとしている。

主郭と二の曲輪間の堀切
堀切で遮断・区画されている。
 

主郭 
長方形の形状である。
 
櫓台状の土壇
櫓台として使用されたのか。
 
 
主郭背後の堀切
背後の尾根も遮断されてる。 
 
南東斜面の竪堀
尾根筋斜面の移動を制限する。
 
横堀
塹壕としても使用された可能性。 
 
帯曲輪
横堀の手前には帯曲輪が造成される。 
 
森本城登城口 位置