主郭 野間山頂上に所在し細長い形状である |
野間山城は別名鶴琳城とも呼ばれ、多可町を見渡せる山上に位置する。 播磨赤松氏の一族、在田重友が南北朝期の1359年築城を計画 着手し、1362年に完成させたと伝わる。 本来 野間城とは野間山城、光竜寺山城、片瀬砦等の城塞群を総称で野間城と呼んでおり、この野間山城もその一つである。 大永元年に播磨置塩城主・赤松義村を暗殺した備前三石城主浦上村宗に在田氏は対抗し享禄年間に野間城は浦上村宗に攻められ落城した。その後 大坂天王寺の戦いで浦上村宗が討死した為、 再び在田氏は野間城を奪還している。 在田氏は播磨河内城(現 加西市)にあった本拠を天文年間初めに 野間城に移した。その後1575年8月在田国康の時に、屋口城主・ 別所重棟に攻められ落城し以後別所氏が治めた後に廃城となった 現在は山上に堀切などの防御施設の遺構が残されている。 尾根上を東西に郭を連ねた構造で東西の郭の端は堀切で断ち切っている。 主郭は細長い形状で側面には石垣も残っており、その西側の郭には虎口のような遺構があるが、それは破壊道であろう。 その先は急峻な堀切で遮断し、しょうどの丸へと続いている。 現在大手側よりも搦手側が登城しやすく、搦手側山麓には駐車スペースもある。 登城道もよく整備されており、戦国期の詰の城の遺構を見て回ることができる。 アクセス方法 旗県道24号線を西脇方面から北上し多可町に入り仕出原の交差点を左折する。その後、カルデン八千代のグランド前を通過して さらに直進し野間川を渡ります。 野間川を渡るとすぐに案内板と登城口があります。 ページ下部に登城口位置マップ添付 |
||
主郭石垣 主郭側面には石垣が残る |
|||
北端部の開口部 この先は大堀切になっており、 破壊道であろう |
|||
大堀切 巨大な堀切が西郭の奥に残る |
大堀切の切岸 急峻であり滑りやすい |
||
段状郭 尾根上は郭を段状に連ねている |
登城道からの眺望 登城道からは多可町が一望できる。 |
所在地 | 兵庫県多可郡多可町中野間 |
形式 | 山城 |
現状 | 山林 |
築城年代 | 南北朝時代 |
遺構 | 郭、石垣、堀切等 |
主な城主 | 在田氏 |
見所 | 石垣、堀切 |
おすすめ度 | ★★★ |
登城道整備 | 有 |
主郭まで | 山麓より25分 |
登城難易度 | 3 |
駐車場 | 山麓に観光案内板前に有 |
訪城日 2009年3月20日 | |