
芥川山城主郭
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1515年細川高国により築かれたと伝えられ、初代城主には重臣の能勢頼則が入った。
その後1523年能勢国頼の時に細川高国と細川晴元が争い、能勢氏は高国方についたが晴元方に高国方の城を奪われ芥川山城も降伏開城し能勢氏は退去する。
その後細川晴元は三好長慶と争い敗北し三好氏が芥川山城を領有することになり飯盛山城へ移るまでの間長慶が在城し次いで三好義興、長逸が入り1568年9月に織田信長に攻められ落城した。
芥川山城には高山氏が入り元亀年間に破却廃城となった。
主郭より段状に配した郭群、各所を堀切等で守る東西南北の出丸、芥川山城は三好山山上に主郭を築き広大な規模の城域を有している。
主郭背後には段状郭、北出丸には堀切、東出丸には土塁郭、大手道には当時の石垣跡が残され
往時の繁栄を偲ぶ事が出来る。また登城道が整備されており比較的城内は歩きやすくなっており訪城しやすくなっている。
登城口位置 ページ下部にマップ添付
おすすめ度は★が多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します。数値1~5
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