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福原城主郭
 
 福原城について

佐用範家の居城と伝わる。
現在は 本丸 二の丸 三の丸の郭跡と土塁が残る。
1577年12月 福原則尚の時、羽柴秀吉の中国征伐軍に城を包囲され、子供らを
落ち延びさせた後 城に自ら火を放ち福円寺にて則尚は自害した。
家臣がその首を朱詰にし柴谷山に埋葬していたのを1772年福原城近くに住む小原金右衛門が霊夢により則尚の首級が柴谷山の頂上に埋まっていることを知り、掘り出し城址に首部霊社として祀り現在に至る。
首部霊社は首から上に霊験があると霊社建設以来参拝する人が多い。



 アクセス方法

R179号線を佐用方面から上月方面に向かう途中に佐用城という案内板がありそこから入る。
分かりにくい場合は福祉施設いちょう園を目印に向かえば城跡はその傍らの田園や民家付近の小丘上にある。
ページ下部に登城口位置マップ添付

所在地 兵庫県佐用郡佐用町福原
形式 平山城
現状  神社
築城年代  南北朝期
遺構  郭、土塁等
主な城主 福原氏
見所 土塁、郭、首部霊社
 おすすめ度 ★★
 登城道整備  有り
 主郭まで  登城口より5分
 登城難易度  1
 駐車場 なし 

おすすめ度はが多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します
数値1~5
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上記 データの 説明      
 
郭跡

土塁
 

堀切跡
 
 
郭切岸跡 
 
首部霊社