貝田城主郭 東西60m、南北20mの規模で広大な面積を誇る |
貝田城は篠山市貝田の丘陵上に所在する城郭で標高は260m、比高40mを測る 細工所城(荒木城)の南に位置する事から何らかの関わり合いを感じさせる しかし貝田城に関する文献等の記録は残されていない
貝田城は細工所城(荒木城)の南に位置する比高40mの丘陵上に築かれている。 主郭は東西に長い長方形の形状で周囲には段状に腰郭が造成されている。 主郭西側の堀切は両端を竪掘に落とし込み遮断線を構築する。 西山麓からの侵入に備えたものであろう。 主郭東側は土橋付きの堀切で遮断するが、この堀切は西側の堀切と比べれば規模が小さい。城外への通路として利用されていたのではないだろうか。 主郭には土盛のような跡があるが、これは篠山市域にもよく見られる古墳であろう。 削平が甘い部分も多く、恒久的な城郭ではなく、臨時的に築かれた城郭、陣城であった可能性も否定出来ない。
大阪府能勢方面からだと国道173号線を北上し篠山市に入り 籾井川を渡った所からさらに173号線を約400m北上した右手にある丘です。 道は基本的にありませんが国道側から登るとすぐに城域です。
おすすめ度は★が多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで 登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、 時間、困難さを示します。数値1〜5 上記各種データの説明はコチラをクリック→ |
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腰郭 主郭の周囲は腰郭や帯郭が配される |
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西側の堀切 Aは堀切底でBは削り残した土塁である 一見横掘に見える。西側山麓への遮断線 |
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東側の堀切 東側の堀切は規模が小さく 土橋が付けられ連絡線の機能を果たしたか |
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主郭の古墳 主郭には古墳の土盛が残る これらも指揮所などとして利用したと思われる |
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主郭東側 全体的に削平は甘い、 臨時的な城郭・陣城として利用したのでは |