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冠山城主郭
 
 冠山城史

河津氏明の築城と伝えられる。1580年9月宇喜多直家は毛利の支城である冠山城を攻略する為、
数千の兵で攻め寄せるも城将 中島大炊介らの活躍で撤退させられた。
その後1582年4月羽柴秀吉の中国攻略軍の先陣、宇喜多ら備前勢の大軍が冠山城に迫った。
冠山城に籠城した林 重真らは激しく鉄砲や弓矢等で応戦奮闘し、備前勢に多くの死傷者を出し
一旦撤退させた。
戦果に歓喜し城中にて休憩中していた籠城軍は火縄銃の火種が元で大火を起こし、城中が混乱し、その隙につけこんだ備前勢が一斉に攻め込み、混乱した城中の者は次々と討死し、城主 林 重真は自刃し落城した。


 冠山城の縄張り
登城道が整備され、小丘にあるため容易に主郭まで到達できる。
三つの壇の郭より形成され、主郭横には段状郭も残る。
おそらく冠山城は丘全域を城として利用していたと思われる。
主郭横の段状郭は登城道より若干外れた所だかよく遺構が残り、主郭跡には城主と籠城兵の戦死者供養塔が建てられている。


 アクセス方法
ページ下部にマップ添付


所在地 岡山県岡山市下足守
形式 丘城
現状 山林
築城年代  戦国期
遺構  郭、土塁、大手門跡等
主な城主 林 重真
見所
 おすすめ度 ★★
 登城道整備  有り
 主郭まで  登城口より10分
 登城難易度  2
 駐車場 なし 

おすすめ度はが多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します
数値1~5
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上記 データの 説明      

二の丸
 

三の丸
  

大手門跡
 
 
冠山合戦 戦死者供養塔
 
 
冠山城登城口