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一の壇
 
 鬼ノ身城史
築城の時期は古く源平の頃と伝わるが築城者は不明。
時代は下り1385年頃は今川泰範が城主であり後に1501年頃より上田氏が代々城主として鬼身城を守った。
天正年間に上田氏当主 入道阿西は三村元親の弟 実親を養子に迎えた。
その後 三村氏と毛利氏の戦い(備中兵乱)が起こり三村氏側の諸城が次々と毛利氏に落とされ、
やがて1575年1月23日鬼身城も毛利の大軍に包囲され城主上田実親はじめ城兵はよく戦い毛利方を苦戦させたが、城主 実親は「我が一身を捨て城内の者の命を助けたい」と決心し同月29日自刃し落城した。その後毛利氏の宍戸氏の居城となり城代が在番するも関ヶ原の戦いで毛利氏が周防 長門に転封され、鬼身城は廃城となった。


 鬼ノ身城の縄張り
鬼身城は1~12壇の郭を扇を開いた形に配置した山城であり一の壇には諏訪神社が鎮座する。
今は城址手前まで車で行くことが可能となっている。
城域は郭、石類、井戸跡などが残っている。登城道も整備されている為、訪城しやすい。


 アクセス方法
総社方面から県道80号線を走り県道80号線と県道54号線の交差点(新本)を右折し直進すると二分れの道に鬼身城への案内板がありそれに従い進む
ページ下部にマップ添付



所在地 岡山県総社市山田
形式 山城
現状 山林
築城年代  鎌倉時代
遺構  郭、土塁、井戸跡、虎口等
主な城主 三村氏
見所 郭群
 おすすめ度 ★★★
 登城道整備  有り
 主郭まで  登城口より15分
 登城難易度  3
 駐車場 駐車スペース有 

おすすめ度はが多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します
数値1~5
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上記 データの 説明      

二の壇
 
 
三の壇
 

五の壇
 
 
井戸跡
 
 
十二の壇前の石類