小室城本丸 標高519mの最高所に所在 |
小室城は別名 東芦田城とも呼ばれ 信濃の芦田庄小室から来往した芦田氏の居城で 芦田金猶が南北朝時代に築いたと伝わる 芦田氏は 大きな争いには発展しなかったと思われるが 山垣城の足立氏と度々領土問題で争いを繰り広げた1391年明徳の乱で小室城は 山名氏と細川氏の争いに巻き込まれ 細川勢に攻められ落城した 小室城は一時細川氏により攻め取られたが その後芦田氏が取り戻している 芦田氏は1555年の香良の戦いの後 黒井城の赤井氏の傘下に入り 1579年5月但馬から 織田氏配下の羽柴秀長の軍が 遠阪峠を越えて攻め寄せ落城した その後小室城は 歴史の表舞台からは消え 廃城となったものと思われる
遠く信濃の地より来往した芦田氏の居城小室城は 丹波市青垣町東芦田の胎蔵寺北の 標高520m比高320mの山上に築かれている 山麓胎蔵寺前より登城道が 山上小室城まで続いている 胎蔵寺前から登城道を途中右手に 旧寺院跡の立派な石垣跡を見て歩くこと約30分 城域である南尾根筋(出郭)に到達する さらに植林された尾根筋を山頂方向の北へ向かい 土橋を渡り巨石が乱立した斜面、 堀切を見ながら 5段の段郭群を駆け上がった頂上が本丸だ 小室城は南北に長い尾根筋を利用した縄張りで 最高所に本丸、北に三段の段郭群と その先を堀切で断ち登城道側の本丸南側は 5段の段郭群とこちらもその先を掘切で断ち 尾根筋南端には出郭を配置した縄張りである この城の一つの謎として 南段郭群先の斜面に点在する巨石群がある 用途は不明だが 実に人為的な感じがする 敗者の歴史は消し去られる この城もまたその城の一つであったのだろうか 今は只素晴らしい山城遺構が 胎蔵寺北の山上に残り、 見るものを戦国の世にいざなってくれる
氷上IC方面から県道7号線北上し 御油交差点を通過しさらに北上、 春日和田山道路の高架下を通り 県道109号線へ右折、 直進すると胎蔵寺の案内が出ているので その道へ入ると登城口前の胎蔵寺となります
おすすめ度は★が多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで 登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、 時間、困難さを示します。数値1〜5 上記各種データの説明はコチラをクリック→ |
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本丸北の段郭群 本丸の北方向には 3段の段郭群が形成されている |
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本丸北段郭群の掘切 北段郭の先は掘切で断たれている |
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本丸南の段郭群 5段の段郭群が形成されている |
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本丸南段郭群先の掘切 本丸南の段郭群の先は 規模の大きな堀切で断たれている |
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南堀切の先の斜面 この急斜面には 軍用石と思われる巨石が点在する |
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斜面に積まれた巨石群 落下させる為に置いたのだろうか |
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本丸からの眺望 標高519mよりの眺望はとてもよい |
南出郭 登城道を登りきると南出郭に到達する |
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旧寺院跡 山麓に立派な石垣の寺院跡が残る |
登城道 山麓から城域に到達するまでは一部に倒木もあるが 比較的歩きやすい道が続いている |
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登城口 胎蔵寺前より登城道が小室城まで続く |