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上月城主郭
 
 上月城史

1200年ごろ、得平頼景が築城と伝えられる。以後、赤松氏、山名氏、尼子氏、と支配大名が移り変わり、1567年、毛利氏の謀略により落城した。
1577年毛利氏に従った赤松政範は中国征伐を行う羽柴秀吉に従う山中鹿之助に攻め滅ぼされ、
尼子氏が入城し毛利氏との最前線拠点として守った。
1578年7月毛利の大軍に攻められ落城、城主、尼子勝久は自刃し山中鹿之助は捕らえられ、
毛利の本陣に護送中に甲部川の渡しで斬殺された。
その後、間島氏が入城したが、まもなく廃城となった。



 上月城の縄張り


山麓に資料館があり車を駐車するスペースがある。
主郭まで登山道があり登りやすく、比高140m前後の山上に上月城がある。
堀切は堆積物で浅くはなっているが視認可能で、主郭には戦死した将の碑がある。
ページ下部に登城口位置マップ添付。


 アクセス方法

国道373号線より入る。下に地図記載
所在地 兵庫県佐用郡佐用町下上月
形式 山城
現状 山林
築城年代  鎌倉時代
遺構  郭、土塁、堀切
主な城主 上月氏、尼子氏
見所 頂上郭群
 おすすめ度 ★★★
 登城道整備  有り
 主郭まで  登城口より25分
 登城難易度  3
 駐車場  
訪城日 2009年3月14日

おすすめ度はが多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します
数値1~5
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上記 データの 説明      

二の丸
 

尾根筋の郭
 
 
主郭下の段郭
 

堀切