黒川氏城主郭
頂上に位置し、内側を石垣で固めた方形郭
広さ30×40
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永禄年間に黒川玄蕃佐の築城と伝えられる。
黒川氏は六角氏傘下の有力な甲賀武士であり、後に織田、豊臣氏に属したが
1585年紀伊川堤防修築工事の際不手際を咎められ、
黒川村を除き所領を没収され、築城後わずか二十余年余りで黒川氏城は廃城となった。
天正期以降 秀吉に従った際に大掛かりに甲賀支配の拠点として改修されたと思われる。
山麓の案内板付近より直登し黒川氏城を訪れると、主郭の石垣遺構もさることながら
その規模の大きさに驚かされる。黒川氏城の縄張りは、現在は崩落しているが
当時は主郭を石垣で固められていたと思われその周囲は空堀で囲まれており、
竪堀、堀切などの防御施設も備えており屋敷跡とされる郭など大小様々な郭が配置されている。
遺構の保存状態もよく遺構には表示板も立てられ見やすくなっている。
比高も70m程で山麓の説明板より登れば大規模な山城遺構を楽しめる。
市立鮎川小学校前より
県道9号線を南下し
左手山麓に城址説明板があるので
そこより直登する。
ページ下部に登城口位置マップ添付
所在地 |
滋賀県甲賀市土山町鮎河 |
形式 |
丘城 |
現状 |
山林 |
築城年代 |
戦国期 |
遺構 |
空堀、土塁、石積、郭、掘切等 |
主な城主 |
黒川氏 |
見所 |
石垣 |
おすすめ度 |
★★★★ |
登城道整備 |
無し |
主郭まで |
登城口より20分 |
登城難易度 |
3 |
駐車場 |
なし |
おすすめ度は★が多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します。数値1~5
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