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 小房城

小房城本丸
 
標高510mの最高所に所在する
 小房城とは
小房城は作東町最高峰の
小房山(標高511m 比高260m)に所在する 
南北朝時代 有本左顕により築かれたと伝えられる 
左顕は居城としていた小房城を
後醍醐天皇の勘気を受けて粟井庄に配流された
権中納言徳大寺実季の子、則重が成長した為、
則重に譲り左顕は大別当城に移った 
則重は足利義詮に謁見し
崇光天皇より新免性を受け新免則重と名乗った 
新免氏は子の長重が継いだが
1480年6月山名氏方の
山名猪伏入道、有本遠江守、粟井景盛らの
連合軍1千の兵が小房城に攻め寄せた 
赤松氏側の長重は二百余名の兵で
力戦奮闘するが力及ばず戦死し遂に落城した 
長重の子貞重は竹山城へ逃れ
後に
竹山城主となった 
その後小房城は
1575年矢筈城主草刈景継が攻め落とし
有本惣兵衛を在城させるが
竹山城主新免伊賀守が攻略した
      
 訪城紀行
小房山 山上の小房城へは
山麓集落にある谷本屋の50m奥の
民家脇より歩きやすい登城道が
山上まで続いている
登城道に従い進み山頂手前になると
土塁と堀切が現れ
その目前の切岸に木製階段が設置されており
そこを登ると小房城本丸となる
小房城の縄張りは
山上最高所に本丸を配置し
北に二の丸(的場の段)その先に段差を設け
馬工郎の段、本丸東南に段郭状に三の丸 
本丸の西南は堀切で守備をしている 
小房城は小規模ながらも
中世の城郭遺構がよく残されている山城である。
          
 
  
 アクセス方法
林野方面から県道51号線を北上し
真加部の信号を直進し県道7号線に入ります
2.4km程県道7号線を走り梶並川を渡る橋を渡り
小房集落に入り谷本屋に向かいます
谷本屋前より50m先の民家脇より
登城道が続いています

ページ下部に登城口位置マップ添付
所在地 岡山県美作市久賀 
形式  連郭式山城
現状  山林
築城年代  南北朝時代
遺構  郭、土塁、堀切等
主な城主 考橋氏 
見所 本丸、堀切
 おすすめ度 ★★★
 登城道整備  
 主郭まで  山麓より40分
 登城難易度  
 駐車場 無し 
訪城日 2010年1月24日 

おすすめ度はが多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します
数値1〜5
上記各種データの説明はコチラです→
上記 データの 説明
 

二の丸(的場の段)

先に段差を設け馬工郎の段となる

三の丸

三の丸は段郭状に連なる

三の丸切岸
 
小郭が連なる
三の丸からの眺望
本丸、三の丸からは眺望がよい

堀切

本丸西南は堀切が設けられる

本丸切岸

本丸は高い切岸で守られ
切岸に木製階段が設置されている
登城道
幅が広い登城道が続く

登城道入口
谷本屋前の50m先に登城口がある
 
 
山麓の屋敷跡と思われる削平地
山麓には屋敷跡と思われる
広い削平地が連なっている