  
      主郭の塁線 
      帯郭に入った侵入者に対して 
      横矢を掛けられるようになっいる。  
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      天正3(1575)年10月、織田信長の命で明智光秀は赤井直正の黒井城を包囲攻撃した。 
光秀は黒井城を落城寸前まで追いつめていたが、天正4(1576)年1月にそれまで味方であった波多野秀治が突如裏切り光秀の背後を襲い、やむなく敗走した。 
天正5(1577)年10月には光秀は離反した波多野秀治の勢力下にある多紀郡を攻略対象に含め再度丹波へと進行する。 
翌、天正6(1578)年3月には波多野氏の八上城を付け城や鹿垣を巡らせて徹底的に包囲した。 
大上西ノ山城はその時に築かれた付け城の一つであるといわれる。 
天正7年(1579)6月に八上城は落城し、それ以降は使われた形跡がなく廃城となったと考えられる。 
      
      
       
      大上西ノ山城は、波多野氏の本拠・八上城より北方約2kmの丘陵上に築かれている。 
主郭は南北に長く北端と南端部は堀切で遮断され、東西に帯郭を造成している。 
      特に西側の帯郭には5本の連続竪堀が穿たれ、主郭の塁線が一部が張り出しているため侵入した敵に対して横矢を掛けられようになっている。 
      北側の堀切の先はやや自然地形を残す造成具合となっており、端部には古墳の墳丘らしきものが残されている。櫓台として利用したのではないだろうか。 
      さらに、その北側は堀切で遮断されている。なお、この堀切を超えて北側尾根を歩き続けると武路城へと到達する。 
      
       
       
      
       
      舞鶴若狭道篠山口インター前から県道94号線を東に向かい、網掛の信号を左折し2.2km北上し右折し県道140号線に入る。140号線から県道301号線に入り、約5.2km直進し右折して県道305号線に入る。約800m南下すると大上西ノ山城の南端部へと到達するので、そこから入山します。 
      下部に登城口位置 地図記載 
      
      
        
          
            | 所在地 | 
            兵庫県丹波篠山市大上字西ノ山 
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            | 形式 | 
            丘城 | 
           
          
            | 現状 | 
            山林 | 
           
          
            | 築城年代 | 
             織豊期 | 
           
          
            | 遺構 | 
             郭、竪堀、堀切 | 
           
          
            | 主な城主 | 
            明智氏か | 
           
          
            | 見所 | 
            竪堀 | 
           
          
            |  おすすめ度 | 
            ★★★ | 
           
          
            |  登城道整備 | 
             なし | 
           
          
            |  主郭まで | 
             登城口より5分 | 
           
          
            |  登城難易度 | 
             3 | 
           
          
            |  駐車場 | 
            なし | 
           
          
            | 訪城日 2015年1月18日 | 
           
        
       
       
      おすすめ度は★が多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで 
      登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、 
      時間、困難さを示します。数値1~5 
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