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小川城主郭
 
 小川城史

鎌倉時代に鶴見長実により築城と伝えられる。
その後、小川氏を経て戦国期には多羅尾氏の勢力下にあり、この時に大きく改修を受けたと思われる。
1582年 本能寺の変で徳川家康一行が、本拠地三河に帰還する際に多羅尾氏が現在の宇治市田原町から伊賀国境まで警護し、その途上に小川城(中の城?)で一夜を過ごしたと伝えられる。
多羅尾氏は1595年豊臣政権下で秀次切腹事件に連座し改易となり、小川城は廃城となった。


 小川城の縄張り

小川城は山麓の中の城、南西の丘陵地の西の城を支城として配置した複合城郭である。
城は山頂に築かれ甲賀特有の方形単郭型城郭とは異なり山上に郭を連ねた連郭式山城である。
山上には大小様々な郭を連ね主郭は四方を土塁で囲み内側壁面には石垣が用いられ建物礎石が残っている。
主郭虎口付近には砦の力石と呼ばれる、兵士が力比べをしたと伝わる石が残されている。
また主郭の東方には掘切形状となりその先に出丸が築かれている。
現在は城域内は整備され、山麓より車でも登城することが出来る為、訪城しやすくなっている。


 アクセス方法

国道307号線を信楽IC方面から南方に走り、立石橋の交差点より国道422号線に入る。
直進し県道138号線に入り、しばらく直進すると(3Km前後)左手に山側に入る道があり、その脇に案内板があります。その道に入りしばらく走ると小川城へ続く林道への案内板があります。
ページ下部に登城口位置マップ添付

所在地 甲賀市信楽町小川
形式 山城
現状 山林
築城年代  鎌倉時代
遺構  郭、土塁、堀切、礎石等
主な城主 多羅尾氏
見所 主郭 主郭礎石 切岸
 おすすめ度 ★★★
 登城道整備  有り
 主郭まで  登城口より5分
 登城難易度  3
 駐車場 山上駐車スペース有り 

おすすめ度はが多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します
数値1~5
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上記 データの 説明      

主郭石垣
 
 
主郭虎口 

主郭周囲
 

力石
 
 
郭跡
 
虎口 

出丸 
 
郭の切岸