城郭ドットコム  播磨の城へ HOME
 

置塩城本丸
 
置塩山頂上に所在する(標高370m)
詰の丸的な郭であったと思われる
 置塩城史

嘉吉の変で一時断絶した赤松氏が赤松氏を再興した後に本城としたのがこの置塩城である。
赤松政則は幕府により赤松氏の再興を許され、応仁の乱で細川勝元に命じられて播磨に攻め込んだ。政則は赤松氏の旧領を奪還し当初・姫路城を本拠とした。一四六九年姫路より北方の置塩山に置塩城を築城し本拠を移した。赤松氏は山名氏と播磨の覇権を掛けて戦い、一四八八年赤松氏は播磨、備前、美作の旧領を回復した
その後 政則の死後赤松氏は次第に勢力を失い四代義佑の頃にはわずか三郡を領有するのみになり五代則房の時に織田氏の羽柴秀吉の勢力下に入り赤松氏は阿波住吉に所領を与えられ置塩城を去り一五八〇年に置塩城は秀吉の命で破却、用材は姫路城改修の資材として
転用され廃城となった。



 置塩城の縄張り

置塩城は姫路市宮置の置塩山(城山)に所在する。
国定史跡に指定されており、室町後期にその威勢を誇った赤松氏の本城らしくその規模は壮大なものである。置塩城は大小70ヶ所以上の郭で構成され、本丸、二の丸、三の丸に大きく区分される。
本丸は城の東方に位置し切岸と帯郭により防御されており本丸の西に二の丸群その南に三の丸群が配置されている。
破却され石材が転用される以前の置塩城は同県に残る感状山城と同等に総石垣に近い構造だったと思われ現在も城内各所に石垣の跡が点在する置塩城は赤松氏の本城らしく茶室跡などの遺構が残り、かつては城下に武家屋敷や町屋が軒を連ね置塩鏡や置塩小判が作られた赤松氏の繁栄の時代がわずかに偲ばれる。
現在は国定史跡に指定され山麓から続く登城道には一丁ずつ一八丁目の置塩城まで石碑が建てられ山上の置塩城も大部分が整備され縄張図や各遺構にも石碑又は標識が立てられ見やすくなっている


 アクセス方法

国道2号線から県道67号線に入り北上し置塩小学校を少し過ぎたところで県道80号線に右折します。そのまま直進し夢前川を渡り、すぐに左折し川沿いの道を直進すると置塩城の案内板と登城口前に到達します
ページ下部に登城口位置マップ添付



所在地 兵庫県姫路市夢前町宮置
形式 山城
現状 山林
築城年代  室町時代
遺構  郭、石垣、大手門跡、土塁等
主な城主 赤松氏
見所 郭、石垣
 おすすめ度 ★★★★
 登城道整備  有り
 主郭まで  登城口より50分
 登城難易度  4
 駐車場  
訪城日 2009年2月22日

おすすめ度はが多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します
数値1~5
上記各種データの説明はコチラをクリック→
上記 データの 説明      

二の丸
 
置塩城のほぼ中央に位置し
土塁、虎口が確認できる
 
曲三の丸
 
二の丸と同様に庭園を持ち
武家最高級の構造をしていた
 
台所跡
 
二の丸北に位置しやや傾斜がある

曲茶室跡
 
茶室跡は通常山城にはあまり類がなく
威勢を誇った赤松氏らしい構造である
 
曲大石垣
 
二の丸南西に所在しており
城内でもはっきりとわかる石垣遺構である
 
曲大手門跡
 
三の丸南西の西郭群よりさらに下ると
この大手門跡に到達する
 
曲本丸切岸の石垣跡
 
巨石を使用し野面積みで積まれている
 
曲置塩城 登城口
 
つづら折りの登城道を登ると置塩城に到達する