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楪 城 主郭
 
 楪城史

鎌倉末期、新見氏の築城と伝えられる。
新見氏は備中守護細川氏に属し後に尼子氏に味方し長年この地方を支配した。
1565年新見春信の時に出雲の尼子氏に属していた為、毛利氏に属す三村氏に攻められ落城。
新見氏は滅亡した。
三村氏は新見地方支配の拠点として三村元範を城主として入れ拡大改修を行った。
周囲にも一族や重臣が支城を構え防備を築いた。
毛利氏が三村家当主 家親を暗殺し、三村家は元親が後を継いだ
毛利氏は、宇喜多氏と同盟を結んだ為、元親は織田氏と結び毛利氏と戦うことになった。
楪城は1574年11月毛利氏の2万の大軍に包囲された。
翌年1月7日に味方の裏切りなどにより落城し、城主三村元範は夜に乗じ、わずかな家臣と共に、
城から脱出したが、現在の新見氏高尾付近で多治目雅楽守の兵50騎により追撃をうけ矢傷を負い
自刃したと伝えられる。
毛利氏は楪 城に城代を置き戦火により消失した城を再建しようと力を注ぐも関ヶ原の戦いで敗北し
毛利氏は周防 長門に転封となった為、楪 城は廃城となった。


 楪城の縄張り

楪 城は主郭、二の丸、三の丸で構成される。訪城すればその規模と整備のよさに驚かされる。
大手道と主郭近辺への登城道の二つがあるが、大手道は三の丸と二の丸の分岐点まで登りやすいコンクリート道が整備されている。
主郭だけでも一つの小規模の山城程の規模をもつ。主郭群を連結する郭を挟み、二の丸、堀切があり、その先には三の丸が位置する。見所も多く、中世の大規模連郭式山城遺構を堪能できる。


 アクセス方法
国道180号線を新見IC方面から北上し180号線と182号線の分岐で180号線方面に入りさらに北上すると左手に 楪 城の案内板がある。そこを左折して入り直進すると城址まで案内が各所にされてありそれに従い進む。
ページ下部にマップ添付


所在地 岡山県新見市上市
形式 山城
現状  山林
築城年代  鎌倉時代
遺構  郭、土塁、堀切、井戸等
主な城主 三村氏
見所
 おすすめ度 ★★★★
 登城道整備  有り
 主郭まで  登城口より20分
 登城難易度  3
 駐車場  
訪城日 2008年10月11日

おすすめ度はが多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで
登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、
時間、困難さを示します
数値1~5
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上記 データの 説明  

主郭一の壇と二の壇切岸
 

主郭武者走り
 
 
花の丸
 
 
二の丸
 
大堀切
 
 
三の丸井戸跡
 
主郭城址碑