白旗城本丸 比高390mの頂上に所在する |
白旗城は元弘3年、赤松則村(円心)により築かれたと伝えられる。 赤松氏は祖を村上天皇とする。赤松師季が播磨に配流され、佐用荘(現・兵庫県佐用町)に土着したのが播磨赤松氏の始まりとされる。 元弘3年後醍醐天皇を中心とした鎌倉幕府討幕運動・元弘の乱では、当主・赤松則村は天皇方に味方した。則村は六波羅を攻略するなど活躍し、幕府倒幕に大きく寄与した。 鎌倉幕府滅亡後、則村は後醍醐天皇を中心とした建武の新政で不遇な立場に追いやられ、不満を募らせた。 やがて後醍醐天皇と足利尊氏が対立すると、尊氏に味方し播磨で挙兵する。 建武2年、後醍醐天皇より尊氏討伐の命を受けた新田義貞の軍6万が白旗城に攻め寄せた。円心は、50日間に渡り、新田勢を釘付けにして、足利軍反攻の足がかりを作った。 その戦功により足利幕府成立後、播磨守護職に任じられ、赤松氏は幕府侍所四職の一家に数えられる一大勢力を築き上げた。 嘉吉元年、時の赤松家当主・満祐は将軍義教を自邸に招き殺害。満祐は自領播磨に戻り白旗城で挙兵した。 幕府による討伐軍が結成され、播磨に侵攻した討伐軍によって白旗城は攻め落とされる。 赤松方は播磨各地で敗北し、満祐らは播磨城山城にて自刃し赤松氏は滅亡した。 長禄2年、南朝から三種の神器の一つである神爾を奪還した功で、赤松氏の末裔である政則が室町幕府より赤松氏の再興を認められる。 政則は応仁元年に勃発した応仁の乱で、東軍に属して戦功を挙げ、播磨、備前、美作の旧領を回復した。 政則は置塩城を築き本拠としていたが則村が挙兵し、赤松氏にとって戦略的にも精神的にも重要な位置を占めた白旗城は戦国時代に改修された形跡がみられ戦国期まで赤松氏により存続していたと思われる
鎌倉時代末に活躍した名将、赤松円心が築いた 白旗城は兵庫県上郡町赤松の 白旗山(標高440m比高390m)の山上尾根筋に 総延長約470mに渡り築かれている 現在残る遺構は戦国時代に改修されたものと 考えられ、国定史跡に指定され、山麓より 登城道が整備されている 登城口から10分やがてごつごつとした 岩場の道へと登城道は変わり、 そこから歩くこと約40分尾根筋に到達し 本丸まではそこからがさらに700mの道のりである (登城口より本丸まで2.2km) 白旗城は比高390mの険峻な山上に築かれた 南北に長い連郭式山城で尾根筋を南北にわたり 規模の大きな郭が連ねられている巨大山城である
比高390mの白旗山最高所に位置し33mx21mの広さで 城址碑が建てられている A二の丸 大堀切を通過すると二の丸に到達する二の丸は 上下二段構成となっている B三の丸 本丸北側に位置し北西に土塁が残りその先を 掘切で守備している C馬場 白旗城の、ほぼ中心部に位置し本丸と二の丸を連結し南北に長い長方形の郭で、東側には帯郭が付属する。 D侍屋敷 二の丸より東側に下る道がありそこを下ると 侍屋敷に繋がっており、侍屋敷には石垣跡や 切岸を利用した井戸跡が残っている E大堀切 櫛橋丸と二の丸を隔てる尾根筋をごっそりと 岩盤ごと削りだした豪快な大堀切である F櫛橋丸 登城道中、最初に目にする白旗城最南端の郭で 南北に数段の腰郭を設け守備している。 最上部からは眺望がよく当時は物見として使用されたとも思われる。
国道2号線を相生方面から西に向かい 有年原の交差点より国道373号線を北上する、 やがて右手に白旗城への案内板が出ているので そちらの道に右折し案内板の支持に従い 進むと山麓登城口林道となります
おすすめ度は★が多いほど見ごたえがあり、最高★★★★★まで 登城難易度は数値が多いほど城へ到達する距離、 時間、困難さを示します。数値1〜5 上記各種データの説明はコチラをクリック→ |
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二の丸 本丸南に馬場経由し 二段で形成されている |
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三の丸 本丸の北に所在し 北側に土塁、堀切が残る |
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馬場 尾根筋を利用し長方形で 本丸と二の丸を連結している |
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侍屋敷 二の丸東側の腰郭下に築かれ 石垣跡、井戸跡が残る |
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大堀切 櫛橋丸と二の丸の間の 豪快な大堀切 |
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櫛橋丸 上部は狭く物見程度である |
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山麓よりの遠望 白旗城は 険峻な白旗山に築かれている |
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岩場の登城道 ごつごつとした岩場の道が続く |
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登城口 山麓民家脇の登城口 |